新潟県上越市の「寺町」について

※地元以外の地域の方のための記事です。

複数の寺町

上越市には、「寺町」という地名が複数あります。

淨國寺のある寺町は、高田駅の西側に南北に長く広がる、寺町一丁目から寺町三丁目です。
南から一丁目、二丁目、三丁目と並んでおり、淨國寺は三丁目でも北の方に位置します。

もうひとつの寺町は、上越市の南端、妙高市との境目手前です。
上越妙高駅の南東1km余りでしょうか、国道18号線(上新バイパス)と上越大通り(県道579号線・旧国道18号線)の交差点を含む一帯です。
こちらの寺町には「丁目」が付きません。
かつて和田村という村があり、高田市(現上越市)と新井市(現妙高市)に分かれた時、寺町は高田市側に組み込まれました。
旧和田村地域にある寺町なので、「和田寺町(わだでらまち)」とも呼びます。

大字「寺」という地域もあります。
北陸道上越I.C.を降りると国道18号線(上新バイパス)ですが、これを南下してすぐに「寺」という地名があります。
大日と下稲田の間のあたりです。S&Bの工場も「寺」に含まれるようです。
「寺村(てらむら)」とも呼んでいたと思います。バス停に名前が残っています。

寺町範囲図
※ 色々な地図を組み合わせてトレスした画像です。


高田の寺町は日本一寺が多い

日本全国に寺院の集まった「寺町」はいくつもありますが、その中でも高田の寺町は寺院数では有数なのです。
60以上の寺院が集まっています。
(数を正確に数えないのは、数十年単位で見ると寺院数が徐々に減っているからです)

戦時中までは民家が無く、本当に寺と田んぼしか無かったそうです。

慶長一九(一六一四)の高田城築城の際に寺町が形作られましたが、当初から現在の形だったわけではありません。
当初は現在の寺町より1ブロック東側にあり、また範囲もやや狭かったそうです。
今でいう裏寺町通りの西側には寺院が無く、線路(えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン)から表寺町通りの間に寺院がありました。
また、本誓寺(およびその寺内)のあたりが一番北で、それより北には寺院が無かったそうです。
寛文五(一六六五)の寛文地震で高田城下にも大きな被害があり、これを機に寺町も作り替えられたようです。
淨國寺もこの時に現在地へ移転しました。
寺町全体が西にずれた事により空いた、現在の線路付近の場所には、武家屋敷だか下級武士の長屋だかが並んだとか。

寺分布図
※ 色々な地図を組み合わせてトレスした画像です。
  古い住宅地図を参考にしているため、一部情報が古い可能性があります。

寺町散策地図
近所の案内看板です。


蛇足:○門前

完全に蛇足ですが、上越市には上門前、中門前、下門前という地名がありますが、それぞれ全く離れた場所にあります。

上門前は、上越妙高駅の南南西1.5kmくらいの所です。
上越市でも南の端で、妙高市と隣接しています。

中門前は、春日山駅の北北西1kmくらいの所です。
林泉寺を含み、林泉寺の東から北へ伸びる地域です。

下門前は、春日山駅の北北東1kmくらいの所です。
郊外の大型量販店が集まっている辺りから国道8号線の点前まで、北へ伸びる地域です。
リージョンプラザも下門前のようです。

門前範囲図
※ 色々な地図を組み合わせてトレスした画像です。